10月期所感、とは言うものの

今期はざっくりとした一行感想ばかりで、あんまり声優について書いてない。でも自分的にはそれでいいと思ってる。こないだのぱらきすなんかは情動に任せて5000字の長文を書いてしまったけど、本当は好ましくないことだ。そのうち尻拭いもすることになるだろう。
 
「書く」行為によって己の見方が狭められるというのは確かにある。良い言い方をすれば「ぼんやりと見るのではなくて視点を設定して見る」ということになるが、早い段階で見方を固めるとそれ以外を許容できなくなってしまうおそれがある。
 
例えば、前期の極上生徒会なんかは、開始当初は何となくつまんねーなと思って見ていたけど、中盤あたりで一旦ナンセンスギャグの形を確立したので、自分もその見方をすればいいんだなと思ってた。けれど、そのためにその後の一話完結シリアス展開が受け入れられなくなってしまった。
 
これを全部頭の中でやってたとすれば、記憶は薄れるものだから、シリアス展開に付いていく目もあったかもしれない。が、始末の悪いことに話の転換期に「オタクはこういう(シリアス展開)の好きなんかなぁ」などと書いてしまっているからそこから抜け出せなかった。とは言え、ナンセンスギャグで2クール見たかったという気持ちも当然ある。
 
もっと単純な話で、「ああ、次はこういう展開になるのね」なんて書いてしまうと、もしその予想が外れたときに前言撤回、言い訳をするところから始めないといけないので、作品に対して何となくネガティブなイメージを持ってしまう。これは一方的に自分が悪い。そもそもうかつなことを書くべきではないのだ。
 
声優についてもそう。SAMURAI7のときだったか、かの折笠富美子さんをつかまえて「自分を型にはめてしまうところがある」なんて書いた。まぁマホの子も松岡みうも朽木さんも基本的にはそうなんだけど、でもだんだんしっくり来るようになるんだこれが。聞き手と、演者と、両方の慣れだと思うけども。
 
我々の頭の構造上、「確かなことだけ書く」というのは本質的に無理だ。では何も書けないのか。ぼんやり見るしかないのか…となるので、とりあえずは我々の「感覚、感情の移ろい」というものを尊重し、「その妨げにならない程度に」意識を言葉として固定化しておくというのはアリだ。そして声優の評価というのは非常にブレやすい部類のものなので(例えば作画の良し悪しなんかと比べたらとんでもなくブレやすい)、とりあえず客観的なことだけを書くに留めて、ゆっくり時間をかけて評価を醸成するのが好ましいのではないか。何にしても一番の敵は「先入観」である。
 
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さてたびたびお知らせしている「10月期新番視聴リスト」の方ですが、これを見ると「視聴テンション」が一旦急上昇してそのあと落ち込むというパターンが何度かある様子。(もっこり、麻雀、きゃんばす2、こてんこ等)これはある意味では「見方がわかった!」あとに「見方が外れた」その再現ともとれる。これだけ「先入観を捨てるんだ」と自分に言い聞かせても中々簡単にはいかない。ただこのリストを付けることのメリットは、「見方が外れた」ことも「見方が合ってた」ことも記録の扱いの上では同じなので、素直にそれを認識して記録しておけるってこと。自分では結構気に入っている。