ガラスの仮面 舞台あらし

この回は特に面白かった。
友人から「あの子は舞台あらしよ」と言われた月影先生は結局「今は疎まれてもあの子の才能を誰もが認めざるを得なくなる」と返した。劇団月影で、マヤが新人ながら重要な役を任され、劇団員の信頼を獲得したことがこの先も再現されるということだろう。現在は嵐が丘の舞台で同じことが進行している。
 
「マヤはどんな端役でもその演技で人を魅了する」
 
それが舞台あらしだ、というわけだけども自分はちょっと違う解釈をしてみたい。厳密には、「舞台あらし」は二つの能力に分けられるはずだ。つまり「どんな端役でも目立つ能力」と、「演技で人を魅了する能力」は別々に存在し、マヤはその両方を有しているのではないかと自分は考える。わかりやすく言い換えれば役者の持つ「華」と「演技力」だ。
 
マヤの場合の「華」は少々特殊である。普通役者の華と言ったら顔立ちや発するオーラのことを指すのであって、それはつまり姫川亜弓に女優の娘として天性に備わっているものだが、普段のマヤにはそれがない。だけども舞台に立てば亜弓と同等にして、観客の目を惹きつける。多分にそれはマヤの「演技力寄りの華」という他ないが、自分の考え方としては良い演技をすることと役者として目立つことは必ずしも結びつかないと思っているので、やはりマヤには華があるということになるのではないか。
 
声優blogなので声優の話になるけど、やっぱり声優にも「華」と「演技力」と両方ある。どんな端役でも目立つ、疎まれると聞いて自分が最初に思い出したのは小林さんではなくて能登さんだった。
言わずもがな華タイプなんであるけど自分は下手だって言ってるわけではなくて、むしろ「ヘタクソ」とか「何やっても同じ声」とかなじってる人を見ると「お前のアンテナの感度低いな」と思うんだけども最近はのどかタイプに路線が固まりつつあるようであんまり嬉しくないな。ってだいぶ話が逸れました。
 
能登さんが華タイプならやっぱ小林さんは演技力の人なんだろう。アキラやってた頃からするといつの間にこんなに遠い人になってしまったのだろうなぁと思ったりもするけど、ガラスの仮面のマヤ役はやはり堂々たるもので、TVを見ながら「今の業界に小林沙苗が居て良かった!」と心底思ったりもする。いつまで続くのかわからないけど、頑張って欲しい。