「顔出しディバイド」

 
近年、社会学、経済学などの視点から、日本に現存する経済的な格差の問題が取りざたされるようになってきました。「自由競争こそ是」「自由競争のもとにあれば、努力すれば皆幸せになれる」という神話が突き崩されようとしていると、学者たちは警告しています。普通「格差」と言えば経済的な格差(貧富の差)を指すのですが、格差が進むと単なる貧富の差からステイタスの格差を引き起こし、さらには経済的にだけはなく精神的に格差のある、「希望格差社会」をももたらします。(社会学者の山田昌弘先生の主張。)「努力しても報われない」という「希望の格差」がより深刻な社会の分断を引き起こす、というわけです。いっぽうで、その「格差」のおおもとがどこにあるのか…それを突き止めて是正するのが彼ら学者であり政府の役目かもしれません。
 
デジタルディバイド、という言葉もあります。これは情報格差と訳され、キーワードによれば「情報を持ったり発信したりできる人と、できない人の間に生じる格差。」だそうです。まぁ自分もblogを得てようやく意見を発信できるようになった世代ですから、まぁあんまり良いところには居ないかもしれない。それでも恵まれてる方かもしれませんが。
 
 
で。ここから声優の話になるわけですが
「顔出しディバイド」と言って、皆さんピンと来るでしょうか?今日はそのことについてねちっこく持論を展開していきたいと思います。
 
簡単な思考実験からはじめたいと思います。
Q1.同じ養成所を出て同じ事務所に所属する、デビュー間もない、3人の新人女性声優A,B,Cが居ます。彼女らのうち、10年後一番成功しているのは誰でしょうか?
 
この問いに対する答えは簡単です。「そんなのわかるわけない」。じゃあ次の問題はどうでしょうか。
 
Q2.あなたは、A,B,Cが三姉妹の脇役で登場する1クールのアニメ13本を事前に見せてもらうことができました。10年後一番成功していそうなのは誰ですか?

この問いには、声優にうるさい人ならちょっと考えます。アニメファンもちょっと考えるかもしれない。「誰が売れそうか」「どのキャラが人気を集めそうか」そういった情報は13本のアニメの中に潜んでいるでしょう。それが正しいか正しくないかは別にして、あなたは「まぁ〜この人が良い感じだから、売れるかも」くらいには結論できるかもしれない。次の問題はどうでしょう。
 
Q3.1クールのアニメの話は突然なしになりました。あなたも頭を打ってそのときの記憶をなくしてしまいました。ですが運良く、3人の声優はそれぞれ売れそうな要素が出てきました。
 Aは、大手レコード会社からアニメの主題歌CDをリリースできることに。発売イベントなども決定した。
 Bは、人気アニラジ番組のアシスタントに決定。人気声優のDと半年に渡って「おしゃべり」できることになった。
 Cは、最近多い深夜UHFの1クール作品ではあるが、なんと主役の座を獲得。だが、萌えアニメではないので関連グッズやイベントなど派手な展開は予定されていない。
 さて、3人の中で10年後に一番成功していそうなのは誰でしょうか?

 
我ながら嫌な感じですね。おそらく、今「声優として」出遅れているはずのAとBは、いずれ大役をもらうことになりそうです。(そうなりそう、という予想が立てられるところに疑問を抱かなくてはいけない)でもCはもう主役はこれが最初で最後かもしれない。という懸念がぬぐえません。(それが当たり前ではある)
AとBがいずれ大役をもらうのだと予想すれば、結果的にこの中で一番損をしているのは今一番「声優として」目立っているはずのCです。AとBでどっちが人気出るかは、意見が分かれるところでしょうが、声優以外のとこ、顔出し、自分のパーソナリティ、そういうもので売っている、というのは変わりがないのでこれを顔出し組とし、顔出し組とそれ以外の間に存在する格差を「顔出しディバイド」と呼ぶことにします。
 
ここまでで思考実験は終わりです。我々はA,B,Cの声優としての資質に関しては、今何も知らない。それなのに、設定を作っただけで「売れそうな人とそうでない人」が見えてしまう。それが現状です。誤解しないでほしいのですが、我々が資質に関して何も知らない、というのは、三人とも資質のほどが同じ、ということを指し示しているのではありません。マスクされていて見えないだけです。三人がもし顔出しをしないのであれば10年後に誰が成功しているか、それを決めるのは声優としての資質に他なりません。(実際は運の要素も大きいですが、誰が幸運の持ち主か、などということは何も言えないですよね)自分が出演した作品の人気、および自分が当てたキャラの人気を運の要素に含めるとすれば、資質以外に3人を分け隔てるものが考えられますか?
 
自分がアイドル声優を「声優アイドルはアイドルであって声優ではない」などと揶揄する本当の理由は、この「顔出しディバイド」に自分自身がおののいているからに他ならない。自分の理想とするところは、「声優としての資質を自由に競争させる業界」です。少なくとも自分は、そういう業界の姿を少年の頃に見て育ってきたと思っていますし、それが失われたとも感じている。だから取り戻したいのです。
 
取り戻すべくいかに行動するか…自分の基本的な考えは「声優を声優として語る」ということ。評論などと堅苦しいことは言いません。アニメを見て「あれが面白かったね」「あれはここが良い」とか書くのと同様に、声優を語ろうよ、ということです。
今声優を語る、と言ったら、声優アイドルのイベントレポかラジオの感想か、CD買ったよ、になってしまう。それを止めろとは言わないが…声優ファンを自称するのなら、声優を語ってください。お願いします。 
 
また、この問題を声優オタク同士の内輪げんか、と取られてほしくはない。アニメファンにとっても「顔出しディバイド」は大きな問題ではないでしょうか?問題のスケールこそ違いますが、宮崎アニメが芸能人に走った原因は「顔出しディバイド」に集約されると自分は考えています。換言すれば、作画や演出を語るに比べ、声優を語るということは我々はまだまだ未熟です。その結果がキムタク起用まで行ってしまった。キムタクでいいよという人はキムタクでいいよと語ってください。語らないよりはずっとマシです。アニメ好きの皆さん、声優を語るということに臆しないでください。作品を評価するのはいつだって、作品サイドの人間がすることではなく、作品を見ている我々がする他にはないのですから。