「ミスター味っ子」を熱く語る

UHF局が突然映るようになって、この3週くらい見てるんですがこれ、すごい。
作品自体もすごいパワー持ってる作品で有名ですが、声優ファン的にもすごいタイトルだねと思います。
今日はその辺を熱く語ってみたいと思います。
(鳥猫は厳密には初見ではありません。幼い頃に見てたので久しぶりに見て思いだしたと言った方が正しいです)
未見の方はあらすじなんかをサンライズのページとかhttp://www.sunrise-inc.co.jp/datacard/card0051.htm
はてなのキーワードとかhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%df%a5%b9%a5%bf%a1%bc%cc%a3%a4%c3%bb%d2 
見ていただけるとイメージつかめるかも…
 
さて味っ子を声優ファンが語る上で三つの視点を用意してそこから語ってみようと思います。
 
視点1 新人高山みなみのフレッシュな演技
以前にも予告だけ書きましたがこのアニメが実質上の高山みなみさんのメジャーデビューにして初主役で。高山みなみさんと言えばもう声優ファンには説明不要というくらいの人ですが。
すごい。何がすごいって高山さんの演技が若い。フレッシュ。新鮮。
他のサイト見るとね〜「高山みなみの成長のあとが…」とか書いてありますが、鳥猫は敢えてこれに反論したい。「成長した」って書いてあるとそれまでの味っ子の演技が下手みたいに聞こえますが、違います。味っ子はこれがいいんです。
確かに、声がふるえてたり長ゼリフ(主に味を独白で解説するあのシーン)のイントネーションがおかしくなったり今の高山さんと比べると声優として完成されてないな、頼りないな、というのははっきりとわかるんですが。
何が良いのかというと、簡単なことで、「味っ子のイメージと合ってるから」。幼くして父をなくし母親と食堂を切り盛りする中学生の味吉陽一、通称味っ子は商売敵の大人に挑んでいきます。料理はアイデアが勝負。いつも元気な味っ子だけど料理勝負に勝つために「自分はあの人に勝てるのか」という不安と戦いながら何とかアイデアをひねり出そうと必死になる。この葛藤のシーンが毎回重要で、味っ子のキャラの結構な部分を占めてるんですが、ここにピタッと高山さんの当時まだ未完成でフレッシュな演技がハマるんですよ。余計に「がんばれー!」と応援したくなるというか。これが今の完成された高山さんだったら…ここまでピタッとはいかなかったと思う。
声優さんが上手くなると当たり前ですが計算が上手になってきて、ここはこういう風に気持ちを込めようっていうのがストレートに出来てくるようになりますから、見ている側にも安心感が出てくるわけですが、でもそういうことがまだ思い通りに出来ない、けど一生懸命伝えたいものがある(ここが大事)っていう、そこのところが見ていて伝わってきて、味っ子のイメージとダブるんですよね。そこが素晴らしく良いなぁ。
推測ですけどこの「がんばってる味っ子と高山さん」のダブりのイメージが当時のアニメスタッフやアニメファンにも相当請求力あったと思うんですよね〜。それでこそそのあとの立て続けの大役起用に繋がった気がします。
高山さんの出演履歴はこのサイトが年代順に並んでて詳しいです
http://homepage2.nifty.com/piyopiyopiyo/
 
視点2 味っ子を取り巻く大人たちとの対比
高山さんのハマリ具合も良いんですがそれに輪をかけて良いのが味っ子を取り巻く大人たちの存在。敵も味方も大人だらけ。(最初の方は天才少年料理人みたいなキャラも多かったんですが、味っ子はそれに勝ってしまうので必然的に大人を相手にすることになる)
こういう話の作り方って最近ないかもしれないですね。コロコロのホビー系マンガにしても大抵は子供たちの間での話だし。で、その大人たちを演じるのが味皇役の藤本譲さんはじめ渋い声優陣。一まとめにこうやって書くの嫌いなんですが、味っ子と大人たちの対比…ということでいやいや書いてます。彼ら大人たちはプロの料理人でプライドもあります。そしてそれぞれに背負っているものがあって、味っ子との料理対決の中で自分が背負っているものと対峙するときが来ます。そこで「俺は…俺は間違っていたのか」みたいなアツイ独白シーンが毎回あるんですが前述の声優陣がそこをキッチリと、自分のものにして、キャラクターたちの個性として際立たせています。言ってしまえば子供が大人を打ち負かすという構図なわけですが、そのためには大人が強くなくてはいけない。この点において求められる演技は味っ子のそれとは違うわけで、そこにも対比の構図が存在するわけです。
出演声優一覧はこちらのサイトで参照できます
ミスター味っ子 真・味皇料理会(キャラクター辞典)http://www1.plala.or.jp/TOBA/ajikko/
 
視点3 作品が面白いからこそいっそう映える声優の演技
ミスター味っ子」というアニメはクールかアツイかで言ったらだんぜんアツイアニメです。たまに暑苦しいくらいアツイ。味皇は毎回「美味いぞー!!」と絶叫してその美味さを視覚的に表現してくれるし、敵であった大人たちは料理対決ののち感極まってボロボロと涙を流します。作品の根底にあるヒューマニズムみたいなものが本当にアツくて、ついついもらい泣きしてしまうというか。今同じようなアニメをやったら多分うそ臭くなっちゃう気がするけど、当時はまだそれを受け容れる余裕があったのかもしれないなぁ。みたいなことも考えます。OPとEDの曲もノスタルジーをあおります(笑)
 
長いこと書いてきましたが短くまとめるとアニメ「ミスター味っ子」という作品は「味っ子」と「大人たち」と「アツイ話」が一体になって形作られていると。
そしてそれぞれのキャラクターは声優のアツイ演技ヌキにはもう絶対に成立しません。アニメ「ミスター味っ子」という作品自体がある意味においては声優という仕事の存在証明そのものかも知れない。なんてことを考えたりしました。
 
もっとつっこんだことを言うと、この作品は「演技が若い、つまり新人」を起用することが結果的に良い方向へ働いたという良いサンプルケースにもなっています。高山みなみは当時無名だったが、若い彼女だからこそできる演技があった。どんな人気声優も最初は無名の新人なわけで、作品やキャラクターと幸福な出会いをしたものがそこから成長していくわけです。そのことをこの作品は示してくれている。願わくは、若き声優たちの前途に、幸福な出会いの多くあらんことを。(おしまい)