アニメにおける暴力表現、生死の扱いについてちょっとだけ考える

昨今のアニメでは、一昔前まではよくあった、残酷だと感じるような表現だとか、主要なキャラクターたちがラストに向かってバタバタと死んで行くような展開だとかいうのはほとんど見なくなりました。PTAからの突き上げもあると思いますが、主には自主規制が働いたものだと思ってます。某・有名なアニメ監督が「キャラクターを殺して視聴者の感情を喚起させるようなやり方は安易である」と批判したこともありました。
 
ただ、そういう意識が一般的になりすぎて、アニメって表現媒体は生死の扱いが下手になった。それで一番影響が出てるのは、アニメの中の、シリアスなシーン。シリアスなシーンつっても色恋沙汰から何からありますが、特に、キャラクターの生死がかかるような場面が弱い。当たり前のことですが、「キャラクターの死ぬか生きるか」がかかっているからシリアスなんであって、死なないとわかっていれば、もうその時点でシリアスでも何でもないんですね。(コナンも毎週人が死ぬが死ぬことが当たり前なのでシリアスではない)
 
自分は何も、一様に残酷描写やキャラクターの死を歓迎しているというわけではありません。やりすぎは良くない。最近「寄生獣」や「漂流教室」をネカフェで面白く読んだのですが、キャラクターの死によって(…ただし両作品の場合は、端役の死が圧倒的に多い)、作品に対して確かに没入はする。シリアスな気分にもなる。でも途中からそれが効かなくなってくるんですよね。人の死がパターン化してくると、拒否反応が出てくる。
 
だから、バランス感覚っていうのが大事だと思う。今は、「殺さない方」に少し偏りすぎな気がします。
 
そういう流れの中で「敢えて人を殺す」ところから話を作ってみせる「鬱アニメ」と呼ばれるカテゴリもオタクの間で認識されてきてはいますが…人は生きもすれば死にもするのが普通なんだから、そういうカテゴリがあること自体、自分には不自然に思えます。