ビィト備忘録 端役に求められるものは何か(電波注意)

 
いわゆる雑魚キャラ、やられ役、で檜山さんが出ていた。別にコミカルなことをやって笑いを取るでもなく、ただの小悪党の役を坦々と演じていた。
言い方は悪いが「なんで檜山?」と、ちょっと声優にうるさい人なら思ったことだろう。誰にでも出来る役をわざわざこの人にやらせる必然性が見出せないのだ。加えて言えば…青二がキャスティング協力しているのだから、こんな役なら無難にこなせる声優が沢山控えているはず。(言い方は悪いが)
 
まあ、それが声優ファンのもっともな見方ではあるが、別に檜山氏である必然性がないからと言って、檜山氏がやっていけないこともない。檜山氏はその抑え切れぬ個性を一生懸命押し殺して、やられ役に徹していた。檜山氏は、自分が作品の中でどうあるべきかを的確に理解し、そしてそれを表現できる高い能力をも有しているのだと、うかがい知ることが出来る。
 
 
少々批判めいた内容になるけど、今の女性声優のトップはとても若い。声優にとって花形と言われるアニメ、そのヒロイン役は20台中ごろから後半の若い女性声優が大半を占める。パターンとして、養成所を出たての人が、所属プロダクションの後ろ支えもあったりしてアニメのヒロイン役を射止め、「新人声優」というよくわからないネームバリューで、顔出しイベントで顔と名を売り、そのまま次のヒロイン役を獲得して仕事を回して行く、というケースがよく見受けられる。
 
もちろん、こういうサイクルに乗れる人がごく一部であることを忘れてはいけないわけだが、運良くサイクルに乗れた人の場合、ややもするとそのまま背景キャラ、雑魚キャラ、端役、モブ、番レギュをろくに経験しないまま大きくなってしまうことが多いように感じる。
 
端役には端役の流儀がある。と自分は常々アニメを見ていて思う。ヒロイン役と端役では根本的に求められているものが違う。前者はキャラクターへ対する「その声優なりの味付け」であるが、端役を演じる上では「端役であること」を視聴者に伝えることが第一義である。本来、端役であるはずのキャラクターが必要以上に目だってしまうことは、話の筋やキャラクターの関係性をわかりにくくするからである。その範囲内で、演技者の個性というものは添えられなくてはならない。
 
その辺りを理解し、理解した上で演技に反映できる若手の女性声優というのは、多くないように思える。端役に徹しきれないでどうしても前に出てくる人が多い。養成所で「個性が大事」だとか「生き残るには自分を出していかなくては」とか、教わったのかもしれないが、自分を出すよりもまずやらなくてはいけないのは作品を成立させること、そのために自分の役割を果たすことである。だが結果的に、現状ではガンガン行っても許される「ヒロイン役ばかり回ってくる声優」と、どこか目立たない「端役ばかり回ってくる声優」の二種類に大きく隔てられ、ある意味「住み分け」がされているわけだが、これもまぁ仕方のないことなのだろうか。
 
少なくとも現状で恵まれていると思われる若手女性声優さんたちには、その地位に甘んじていないで、5年後10年後にヒロイン役が回ってこなくなったあと、そこでドロップアウトしてしまわないよう、潰しが効くように精進して欲しいなぁ
 
なんてことを結論として言いたかったりしますが。お終い