#7

お話としては前回砂ぼうずが遭難して、救助されたあとのインターミッションみたいな感じで、特にアクションシーンとかもなかったわけですが、その分ギャグというかキャラ描写に凝ってた回でした。オチがちょっと教訓じみてたのが惜しかったけど、個人的には1話と並んで評価の高い回になりました。作画上の演技もよく効いてましたよね。
  
で、いま飛ぶ鳥を落とす勢い(ということになっている)斎藤千和さん。いったい彼女の何が面白いのかと、うんうん唸って考えて、やっとのことで閃いた。
彼女の演技って、「相手にものすごく影響されやすい」んですよ。
 
普通のアフレコの流れって、もらった台本を収録前に読んで、自分がどう演じようかと考えて、それでアフレコの日にスタジオにやってきて、リハーサルやって、それから本番、って感じだと思います。
台本読んで考えるっていうところは、一人でやる作業。もちろん、相手のセリフは書いてあるけど、相手がどういうニュアンスを乗っけてくるかっていうのは、自分で想像して補う必要がある。その上で自分の演技のイメージを考えるわけです。だからその時点では、台本に二人のキャラクターの会話のシーンが書いてあっても、その会話のイメージが必ずしも噛み合っているとは限らない。
収録日になってリハーサルをやるときとか、監督から指示を受けるときとか、そういう段階で普通は「二人の頭の中」を近づける作業をやると思うんですが、多くのスタッフを一同に集めてやる収録現場では、そんなに多くの時間は取れないわけで、やっぱり「噛み合い具合」には人によって、シーンによって、差が出てくると思うんですね。
ここへ来て斎藤さんの「相手にものすごく影響されやすい」という特徴が目立ってくるわけです。直前の相手のセリフのニュアンスを嗅ぎ取って、自分の演技がすぐに影響される。
 
砂ぼうず」では、砂ぼうずはわがままというか自己中なお師匠さんで、タイコにあれやれ、これやれって適当なこと言うわけですが、それを弟子のタイコはふんふんとまじめに聞き入れる。でも逆にタイコの言ったことが砂ぼうずに影響するってことはそんなにないわけですね。そこの違いが「偶然の一致かもしれないけれども」演技の上でも影響されやすい斎藤さんのせいでよく再現されていると思います。

月詠」。こちらは基本的にお兄様との掛け合いのシーンが多い。大体口げんか。相手に強く出られたら「それは…」って口ごもるとか、逆切れするとか、その逆に相手が弱みを見せたら今度は畳掛けるとか、口げんかですからそういうことなんですが、ここでも相手の調子っていうのを存分に取り込んで、セリフを返してます。だから返しにリアリティを感じる。(記号に対する意味でのリアリティ)
そういったシーンの積み重ねが、「小憎たらしい、油断できない(でも可愛い)葉月」像を作ってるんじゃないかなと。
 
 
でも、斎藤さんのわからないところは、そういった高い柔軟性を有しているように見えながら、作品によっては人が変わったように型にはまった演技をするってところです。「ケロロ」とか「ガールズブラボー」とかではぜんぜん。「ユ キ ナ リ ィ〜〜〜〜」や「ケ ロ ロ ォ〜〜〜〜」のセリフが象徴的ですが、普段のセリフもバリエーションが無い。下手ってことを言ってるんじゃないんですよ。鳥猫の好みとちょっと違うってだけで。脇に徹してるってことなのかなぁ。
 
 
というわけで思ったより長くなりましたが斎藤さんに関するいち考察でした。
これだけで彼女の魅力が語り尽くせたとはとても思えないので、引き続き観察を続けたいと思います。